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気になる軽井沢の暮らし

【同居嫁ブログ】義両親と完全同居のリアルを綴る

※この記事は、完全同居3年目の筆者の体験談を綴っています。

不快に思われる方は、ここからページを飛んでいただくことをおすすめします。

この記事を読まれるあなたは、これから同居をされるのか、または既に同居をされている「嫁」の立場の方が多いのではないでしょうか。

きっと誰かのお役に立てる事があると思い、【完全同居の真実】をお伝えします。

そもそも、同居はするもんじゃないです。

ですが、様々な理由で同居をせざる終えない場合があると思います。

筆者の場合は、結婚する時に夫が長男で義理両親に介護が必要という事が既に分かっていました。

すぐ同居すべきか、介護度がより上がってから同居すべきかのどちらかの選択を迫られ、今思うと義理両親2人だけじゃ生活は大変だろうなと、優しさを見せてしまった事が間違いだったと思っています。

完全同居の嫁のリアルを、精神的・身体的変化の真実をお伝えします。

3年目に感じた事:同居はこころ休まる時は来ない

我が家は、完全同居のタイプです。

姑は完全同居経験者で、自分が辛かった事はあなたにはしないと言ってくださり、同居経験者であれば私の気持ちも汲み取ってくれるだろうと思っていました。

が、恐らく自分がされてきた事を、筆者に同じようにするようになります。

「私が嫁の時は、もっといじめられてきた」が口癖で、それを言えば許されると思っているように感じるときもありました。

寝室があれば、ゆっくり休む事ができるのは嘘です。

常に、義両親が近くにいるという気を張った心理状態。

何か頼み事があれば、問答無用で呼びつけます。

距離を置こうが同居はこころ休まる時は来ないのだと実感する経験になりました。

同居はルールを守ってくれるとは限らない

結婚する両家挨拶の時、義両親は2階の全室を私達夫婦に明け渡し、1階での生活をすることを約束。

義理弟は、近くのアパートに引っ越す予定だと話しました。

引っ越し当日になり、私が義両親宅へ向かうと何一つ掃除されていない状況。

「何この状況?」と、驚きを隠せませんでした。

「自分たちで使う部屋は自分たちで片付けなさい」という一言で、引っ越し初日から掃除の日々を送ることになります。

◆舅だけ1階で生活

◆義理弟は引っ越しせず、2階で生活

◆姑は私達夫婦の寝室になる部屋に居座る

結局、私達夫婦は2階のキッチンがある部屋に暮らすことになります。

2階には、もう一部屋が余っていましたが、義理弟との共有部屋にして欲しいいわれ、義理弟が引っ越すまで使いませんでした。

独身時代の服や物は、ほとんどMercariで売りました。

置く場所がないのです。

この状況を私の両親には話すことができず、私のストレスが限界になってきた頃に母に愚痴ってしまいました。

その後、母は筆者の心配と娘がいなくなってしまった寂しさからだったのか、うつ病を発症。

まさに、負のループにはまったんじゃ?!と思いました。

義理両親が、ルールを守ってくれる人がどうかを見抜く事はかなり難しいです。

後出しジャンケンのようなタイプは、本当に厄介です。

お互い歳を取っていくので、約束事も都合のいいように解釈されてしまうことだってあえりる。

結婚当初から、自分を守って生きていくためにはどうしたらいいかを考えるようになりました。

狭い空間で人格否定は日常茶飯事

結婚する時に、母は姑に「仕事しかしてこなかった娘だから、料理は上手くできないと思います」と言いました。

姑は私を【何もできない女】として解釈され、何かと口を出してきました。

本人は、良かれと思ってアドバイスをしているつもりだったのでしょうが、毎日人格否定を受ける気持ちです。

キッチンに女2人立つものじゃない説は本当だった!

1番辛いのが、キッチンです。

初めの頃は、姑の言う通りにしてきましたが、3年目にもなれば、料理もかなり上達し自分のやりたい方法で料理をしていました。

今は、YouTubeや電子書籍などを駆使すればそれなりの料理ができます♫

義両親の病気のことを考えた味付けにしていましたが、ある時姑が私の作った料理の味付けを変えてる姿に遭遇!!

「もっと〇〇を入れた方が美味しい」

「〇〇を入れないから不味い料理になった」

「こんな食器を選んだら、料理が不味く見える」

この一言には、かなり堪えましたね。

食費は私達夫婦が払っていることもあり、姑の言う通りに料理を作ってきた結果、かなり病気が進行する事態に!

女としての対抗心はいくつになっても失くならない

私が美容室にいけば、「変な髪型」

私の肌状態をみると「私はプチプラコスメでもこの美貌」

私の友人が営む農家から美味しいマスタードやジャムが届けば「おたくの友達の仕事は上手くいくはずがない」

などなど。

女性としての対抗心だったのかは分かりませんが、とにかく姑と話をしてもつまらなく苦痛の時間として認識するようになりました。

突然やってきた体調不良

同居1年が過ぎ、目が覚めると右耳の耳鳴りが止まらず「ザーザー」というようになりました。

そして、何故かベットから起きれないんです。

目眩や義母の話を聞いている時に、心臓の鼓動が早くなる症状が出始めるわけです。

「これはやばいぞ」と思った私は、すぐに病院へ。

右耳の聴力が落ち、脳に異常はなかったものの原因不明の診断を受けました。

もちろん同居解消を勧められました。

「私ならやれる」と思っていた身体がついに悲鳴をあげたわけです。

介護・妊活・仕事、この3つを上手くこなすことなんて、私にはできなかったのかと自分を責めるようになったのもこの頃です。

結論:同居は悲惨な結末を迎える

筆者の場合、夫がいる時は私の盾になってくれました。

金銭面的にも、かなり頑張ってくれていたからこそ踏ん張れたと思っています。

ですが、義両親と毎日生活をするということは、自分が思っている以上に大変で身体もこころもすり減るものです。

また、これまでの生活がかなり楽になった義両親は、元気ハツラツなのですが、やはり自由気ままな食事は病状を悪化させたのも事実です。

同居2年目には、希望の光が指し始めるのですが、それはまた次回の記事でかくことにします。

お読みになってくれて、ありがとうございました。

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